ムーの予測不能な人生ストーリー!!

こんにちは!「ゼロから画家を目指す挑戦記」を運営しているムーです!

ここでは、これまでのムーの人生について、わかりやすく簡単に説明していきますね!

ムーは何をしている人?

ぼく(ムー)の主な活動内容
  • 絵を描く
  • 画家挑戦中のリアルな日常を発信
  • ゼロから画家を目指す人に役に立つ情報発信

このように絵を描きながらリアルな日常役に立つ情報を発信しています。

こんな人におすすめ!

ゼロから画家を目指す挑戦記はこんな人におすすめ!
  • 画家になりたい人
  • 絵を描いて生きたい人
  • 自分らしい生き方を見つけたい人
  • 現状にモヤモヤを感じている人
  • 挑戦したい人

画家を目指す人現状何をしたらいいか迷っている人一歩を踏みだすきっかけを探しているにおすすめな内容になっていますよ~!

ムーはどんな人?

ムーの性格
  • ポジティブ
  • とにかく絵が好き
  • 根気強く、まじめ
  • 人に合わせすぎない
  • ひとり時間が好き
  • 自然や動物や宇宙に癒される
  • お酒はたまに飲む
  • テンション中ぐらい

こんな感じで、やりたいことをとことんやる性格なんです!(今は。笑)

ここからは、ムーの人生の生い立ちをお話していきますね

生まれも育ちも三重県

1989年2月22日、三重県四日市市生まれ。

元気いっぱい、はじける笑顔が可愛い男の子でした。

この頃からよく動いて、よく笑う、活発な性格みたいでしたね。

母親曰く、歩くのも早かったらしく1歳になる前にはもうスタスタ歩き回っていたそうです!笑

クラスのムードメーカー

小学生になるとますます活発になり、常に楽しいことばかりを探して生きていましたね。

授業中も集中力の持続時間は5分ほどしかなかったので、大半は遊んでいましたね。笑

そのため通信簿には「落ち着きがない」が先生の決まり文句のように毎回書かれていました。苦笑

性格も矛盾したところがあって、恥ずかしがり屋のくせにちょっと目立ちたいという訳のわからないところがあり、人前に出て注目されるのが苦手なくせに、その当時ブレイクしていたお笑い芸人(たしか三瓶)のものまねをみんなの前でやり、案の定顔面を真っ赤にして冷や汗かきながら照れてましたね~。汗

天の声
天の声

やるなら堂々とせんか~い!!

そういうところがあるからだと思いますが、友達からは「何考えてるかわからんね~」と、よく宇宙人扱いされてましたね~。笑

夢や目標がなかった・・・

毎日白い体操服が茶色になるほど外で元気に遊びまわる小学生でしたね。

学校が終わってからもまっすぐ家に帰らずに、下校途中の公園で友達と野球サッカーをしたり、ケイドロをしたり、近くの田んぼや用水路でザリガニをつかまえたりと、とにかく毎日を自由に遊び倒していましたね~。

家に帰る頃には体力を使い果たして、晩ごはんを食べる前に寝てしまうこともしょっちゅうありました。笑

そのまま順調に大きくなり小学6年生の時に、とあるテーマについての授業がありました。

それが、「将来の夢」

男の子は、野球やサッカーなどのスポーツ選手警察官電車の運転手と書いたり、女の子は、ケーキ屋さん美容師犬のトリマーなどと思い思いの夢を書いている中、

ぼくだけは違いました、

「まったく何も浮かばない・・・」

実際にスポーツをするのも好きだし、テレビで歌手を見て音楽を聴いたり歌ったりするのも好きでしたが、それを「夢や目標」にする考えが当時のぼくにはなかったんですね。

最終的に何も浮かばない頭からしぼり出して書いたのが「父親の勤めていた会社に入る」でした。笑

今となってはウソでももっと他にあっただろうと、笑いのネタになってます。笑

でも、これを機に「夢や目標」について少し考えるきっかけになったので、いい経験でしたね。

中途半端に部活をがんばった学生時代

小学4年生の時に住んでいた地域の陸上クラブに入りました。

元々友達が入っていて、そこに家族ぐるみで仲がよかった友達と一緒に遊び感覚で入ったのを覚えています。

なので練習にも身が入らず、完全に「仲よしかけっこクラブ」と呼んだほうが正しいレベルでしたね。笑

中学校もその延長で陸上部に入部し、もちろんやる気もないので練習もサボりながらダラダラ続けていましたね。

そんな時にテレビで再放送していた漫画アニメを見て、強烈にあこがれを抱いたんです。

それが「スラムダンク」でした。

特に好きだったのが主人公の桜木花道でしたね。

アホでお調子者の不良が、好きな人にアピールするためだけにまじめにバスケに打ちこんで、上達していき、最後は感動させるストーリーが好きで、高校ではバスケ部に入ることを決めましたね。

そして高校生になり、あこがれのバスケ部に入部することになるのです。

がしかし・・・

アニメのあこがれだけで入ったぼくには、とても厳しい現実が待っていました。

なぜなら、高校からバスケをはじめる初心者はぼくだけで、周りは小学生の頃からバスケをしてきた経験者ばかりだったので、ろくにルールもわからないぼくは練習についていくのが精一杯でした。汗

あまりのキツさに、小・中とぬるま湯につかりきっていたぼくはすぐにイヤになりました。苦笑

なんとか2年生まで続けることができましたが、2年生の終わりに限界に達したぼくは監督に退部を申し出るも引き止められ、イヤイヤ3年間続けましたね~。笑

当時のぼくは、意志が弱くて周りに流されやすい性格だったんですよね~。

深く考えずに進路を決めた

高校3年生になり、そろそろ将来の進路を考えないといけない時期になったのですが、小学校の時から今になっても「夢や目標」がないままでした。

毎日楽しむこと以外は考えていなかったので、初めて将来についてまじめに考えましたね。苦笑

とはいえ、案外簡単に決めてしまってクルマ関係なら安泰だろうという安易な理由で、自動車整備士を目指して専門学校へ進学することにしました。

地獄の2年間

専門学校での2年間は毎日ひたすらクルマの知識をつめこんだのですが、

ここからが地獄の2年間の始まりでした・・・。

なぜなら、専門学校からの就職率は毎年ほぼ100%でした。

でもそれは、自動的に内定が決まるわけではなく、あくまでもしっかり勉強して知識と技術を習得した人だけが就職できるという、言ってみればごく当たり前のことなんですけどね。笑

でも、勉強と努力がキライなぼくはそこにプレッシャーを強く感じてしまったんですよね。

2年生になると本格的に就職に向けて勉強がハードになって、毎日すべての授業が終わると、成績別にクラスを分けられテストがあるのですが、合格点以上(たしか80点)をとらないと居残り勉強という地獄のシステムだったんですよー。泣

もう想像がつくと思いますが、ぼくは一番できの悪いクラスで毎日居残り確定でございましたね。辛

そのストレスである日突然お風呂で体を温めると、全身にじんましんが出てしまうようになって、精神的にかなり追いこまれていましたね。泣

心の声
心の声

もうイヤだ~。早くこの地獄から抜けだしたい~泣

それでもなんとか地獄の修行を乗りきって、就職内定を決めることができましたー!!

がしかし・・・

社会不適合者

無事に自動車整備士として就職できたのですが、この時すでにぼくの心は決まっていました。

2ヵ月で退職。

あんなに苦労して就職したのに、たった2ヵ月で辞めてしまうんですよね。

っというのが在学中にすでに就職してもすぐに辞めたいという気持ちがあって、2年間勉強と実技を学ぶ中で、「自分には合わない」と適性を自己分析していたんですよね。笑

その後はなんとなく自分にできそうな仕事を探して働くも、会社組織という社会のルールにまったくなじめずに、どれも2年程度しか続きませんでしたね。

この時点でぼくは、自分のことを「社会不適合者」だという認識はありましたね。苦笑

なので「いつか独立して自分の好きなことで生きたい」という思いがあったものの、漠然としすぎていて、どうすればいいかもわからず何かをはじめる勇気もなかったので、結局なんらいつもと変わらないモヤモヤした気持ちを抱えながらテキトーに生きていましたね。苦笑

精神崩壊!現実逃避!!

そんな状態なので仕事も手につかず、なんてことはない簡単な作業でもミスが続いてしまい、ミスして怒られて謝るを何度もくり返していました~。辛

そういう日が何日か続いたある日の朝、ついにやってしまいました~。

無断で会社を休み、山へ逃亡!

ついに精神崩壊し、現実逃避してしまったんですよねー。

「とりあえずひとりになりたい」

「誰とも会いたくない」

「遠くの知らない場所へ行きたい」

「癒されたい」

ただただその想いでクルマを走らせ、気がついたらきれいな川が流れる山に着いたので、川辺まで歩いていき、なんにも考えずにただひたすらに水の流れる音鳥の鳴き声風でゆれる木の音に耳を傾けながら横たわっていましたね~。

今思ってもかなり病んでいましたからね~。苦笑

でも、なにも考えずに「無」でいると心が落ちついてきて、そのまま自分の心を見つめ直すことができたんですよね。

「自分がやりたいことって何やろう?」

「何か続けられることはあるんかな?」

そうやって自問自答していると、一つ頭に浮かんだことがあったんですよね!

そういえば「絵を描くこと」は子供の頃から好きで、今でも気が向いたときに描いていて続けられているなーっと。

この「絵」という気づきが今後の人生の選択に大きく関わるとは、当時22歳のぼくはまだ気づいていなかった・・・

筋トレで心と体が成長した話

「絵」の存在に気づいたぼくですが、絵=趣味で「絵で生活していくことなんてムリだ」とやる前からあきらめていたので、何か楽しくできそうな仕事を探すことにしましたね。

そこで見つけたのがスポーツクラブでした!

はじめはアルバイトとして入り、ある程度慣れてから正社員になりましたね。

そこでぼくは筋トレにハマったんですよね!それまでは部活メニューぐらいしかやったことがなかったのですが、筋トレマシンに触れるようになってからどんどん好きになっていきましたね。

この筋トレとの出会いで、ぼくは心と体を一回りも二回りも成長させることができました!

筋トレにハマり体がどんどん成長していくのが楽しくて、いつしか大会に出場してみたいと思うようになったんですよね。(試しに一回出てみようかな~ぐらいの気持ちで)

そこで筋トレ仲間と一緒に大会に出場することに決めて、仕事をしながら本気で体づくりをはじめましたね!

が・・・

ここから意志の弱い自分との闘いがはじまりました・・・

過酷な減量!目標の大切さを実感した!!

大会用の体を仕上げるために、ここから本格的な食制限がはじまるわけですが、これが本当に試練でしたねー。

カロリータンパク質炭水化物脂質水分量塩分量糖質制限など、一つ一つの栄養素の摂取量をコントロールしなければいけません。

コントロールする方法はスマホアプリを使えば難しいことはないのですが、一番キツかったのがメンタル維持でしたねー。苦

食べたいのにカロリーオーバーで食べられない、飲み物も飲めるものが制限される、ごはんの味つけは基本塩のみ、甘いものが欲しいなど欲求を満たすことができないのが本当にキツかったですね。

言い方を変えれば軽い栄養失調の状態なのですが、この状態でも極力筋肉を落とさないために筋トレはやり続けないといけないわけですね。

だんだん気力も体力も落ちてきて、正直楽しさがなくなっていきましたが、それでもやり続けました。

なんで意志の弱いぼくがそこまでがんばることができたのか?!

それは、大会に出場してステージに立つという明確な「目標」があったからなんですよね!

今までの人生で「夢や目標」がなく、なにをするにも中途半端に終わらせてきたぼくが、初めて目標ができたことで、中途半端にせずに最後までやり抜くことができたんです。

その時に改めて実感したのが、「目標」を持つことの大切さでしたね!

そしてなんとか過酷な減量をやり抜いて、大会のステージに立つことができました~!嬉涙

ちなみに目標は大会に出場することだったので順位は気にしておらず、何位だったかはわかりません。笑

目標があることで成長できたこと!
  • あきらめずにやり続ける継続力
  • 自分を信じ抜く心の強さ
  • メンタルを維持する精神力
  • うまくいっている未来をイメージする想像力
  • 共に助け合い挑戦できた仲間への感謝の心

細かくあげればもっとありますが、重要な部分はこんな感じですね!

山形へ移住を決断!

そんなぼくにもステキな出会いがあり、26歳で結婚することができました。

妻の出身は山形県なのですが、妻と出会うまで山形の存在をまったく知りませんでした。笑

ムー
ムー

山形?…どこ?

天の声
天の声

全山形県民に謝れっ!!

山形は大自然に囲まれた自然豊かなところで、自然が大好きなぼくは居心地のよさを感じていたんですよね。

そして結婚当初から「山形に帰って暮らしたい」という妻の願望を聞いていたので、ぼくもなんとなく移住を考えるようになっていきましたね。

ぼくには3つ上の兄が一人いますがすでに隣県に世帯をもって住んでいたので、実家にすぐ帰れる距離にいたのはぼくだけでした。

なので移住するとなると、親に何かあってもすぐにかけつけられる人がいなくなるのがぼくの中で一番心配なところでしたね。

でもそんな思いとは反対に、まだまだ知らないことだらけの新しい土地に住んでみたいという強い好奇心を抱いていたんですよね。

そして結婚して5年目の31歳の時に移住の意思を親に話して、山形移住を決めましたね。

この移住の決断が、人生の大きな岐路になったことは間違いない。

心も体も少しずつ成長し、結婚もして、新しい土地で心機一転がんばるぞ~!!っと意気込んでいたぼくでしたが、人生はそんな順調には進まないんですよね~。涙

なんでぼくの人生はこんなにジェットコースターみたいに上がり下がりが激しいのだろうかと本当に思いますね。苦笑

結果から言うと移住して4、5ヵ月で仕事が決まり、2年後に子供が産まれました。

子供が産まれたことはほんとうにうれしかったですね!!

ただそこからコロナの影響もあり、仕事がうまくいかず移住から6年間で2回も職を失うんですよね。汗

ここからは、その時の仕事に対するぼくの心の葛藤をお話していきますね。

ウソで塗り固められたぼくの心

ぼくはこれまで正社員を6回転職してきて、アルバイトを含めると辞めてきた仕事の数はいくつあるのだろうかとぼくもわからないほどです。苦笑

そう、ぼくは仕事が長続きしたことがないのです。

でも正直、その原因が何なのかぼくは最初から気づいていました。

それは、「自分」ではなく「他人」を優先してきたということです。

そもそも就職して仕事をすること自体がぼくにとってのウソでした。

だってほんとうは「働きたくない」のだから。

(※ここでの働くは、会社員として働くという意味です)

今思えば小学生の頃から「夢や目標」がなかったのは、毎日朝早くから夜遅くまで働いて疲れきった親を見ていて、働くことに対する悪いイメージがぼくの心に焼きついていたからだと思います。

だけど仕事を辞めるたびに親や周りから投げかけられる言葉の数々・・・

「次の仕事はどうするの?」

「生活はしていけんの

「また?つぎはちゃんと働きなよ!」

一見心配してくれている言葉に聞こえますが、聞けば聞くほどぼくの「心」は傷ついていきました。

なぜならすべて、「仕事」に対しての心配ばかりで、「弱った心」ときには「壊れかけの心」に対しての心配の言葉がなかったからなんですよね。涙

こういう言葉を毎回毎回聞けば聞くほど、「自分の本音」を飲みこんでしまって、相手を安心させることばかりを優先してしまっていたんですよね。

そしてまた自分の本音を飲みこんで、さらにウソで自分の心を塗り固めようとしていた時でした。

一生忘れられない、ある出会いがありました!!

これからは「自分を生きる」と覚悟を決めた!!

ぼくの37歳の誕生日の日に、妻の友達が主催で開かれた「健康と色の世界」という内容のお話会があり、ぼくもなにも予定がなかったので参加することになったんですよね~。

その時に、人の心の色が見えるミミちゃんという女性と出会いました。

お話会の最後にミミちゃんから、ぼくの「心の色」「色の意味」を絵はがきにして、ぼくにプレゼントしてくれました。

そこには今までぼくの心の中でずっと閉じこめていて、あきらめていた本音を後押ししてくれる言葉が描かれていたんですよね!

ぼくの心はいつも包んでくれる。

さぁ。そろそろ動こうかな。

ぼくの輝くところを磨いてゆく。

この言葉を見た瞬間、ぼくの心に浮かんだのが「絵」でした。

22歳の時に現実逃避をして、自分を見つめ直し自問自答した時に、ふと頭に浮かんだ「絵」がここで出てきたんです。

今まで「絵で生きていくなんてムリだ」と勝手に思いこんであきらめていましたが、実は「絵で生きていきたい」という思いはずっと心の奥にあったんですよね。

もちろんミミちゃんには、ほんとうは「絵で生きていきたい」ことは伝えていなかったのですが、やっぱりミミちゃんもぼくの中の「絵」を感じとったそうです。

ものすごく鳥肌がたったと同時に、

「もう自分にウソをついて生きるのはやめよう!」

「ほんとうの自分を生きよう!」

と仕事を探さずに、絵で生きていく覚悟を決めました!!

その翌日から、ぼくは感性のまま自由に絵を描きだしましたね!

今ままでは人に見せることはせずに自己満足で終わっていたのですが、一度周りの人に見せてみたら思いのほかほめてもらえたんですよね!

そこから、絵を気に入ってくれた友人や新しく出会った仲間にプレゼントドネーション(お気持ち代)したりして喜んでもらえる機会がどんどん増えてきましたね!!

それがものすごくうれしかったんですよね!

ぼくの絵が人の心を動かしている

そのことを実感することができました。

そしてずっとあきらめ続けていた「絵で生きていきたい」という「夢」本気で挑戦することができたんですよね!!

やりたいことだけをする!それでいいんですよ~!!

人はいくつになっても変われるもんですね~!

あの意志が弱くて周りに流され続けてきたぼくが、今はだれにも流されずに「やりたいことだけ」やって生きていますからね~!!笑

これまでの人生の経験からたくさんの学びがあり、その学びから、大切なことがわかったんです!

それは、「やりたいことだけをやっていい!!」

だってそれが、「自分を生きること!!」ですからね~!

「絵で生きる」を叶えるためにゼロから画家に挑戦中!!

そして現在ぼくは、絵で生きていくためにゼロから画家に本気で挑戦しています!!

これから画家を目指して活動していく中でのリアルな体験談をどんどん情報発信していきますよ~!

同じように絵を描いて生きる人生を歩みたい人にとって、役に立つ情報を発信していくのでぜひ参考にしてみてくださいね!

もしよろしければ、これからのムーの画家人生を応援してください!!

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